ふとした瞬間にやはり悲しくなる。
食費は削るのに、夫はホームシアターを買おうとしている。欲しいんだけどいいかな?とは聞いてはくれる。私的にはいらないけれど、あっても生活に支障はないから、嬉しそうに話す夫にダメなんて言う気持ちにはなれなくて、お金を管理している夫が予算的に大丈夫なら買えばいいんじゃないかな?としか言えない。
3月には泊まりで夫が好きなアーティストのライブに行く。安い部屋が取れなくてセミスイートになった。
将来、カフェをやるのもいいかな。と思って、勉強の為に2週に一回、外食をしようと言う。
どれも、夫が嬉しい気持ちになるならしたらいい。とは思う。私には必要ないけれど。
買い出しの事は納得したのに、どうしてこんなにも悲しいのだろう。
きっと、私は旅行も外食もいらないから、普段の生活水準を上げたいからだ。
質の良いものに囲まれて暮らしたいからだ。
でも、そこには夫の幸せはない。
私はきっと質の良い生活をしても、その中で夫が暗い顔をしていたら幸せではない。
行きたくない場所でも、夫が幸せな顔をしていたら嬉しくなってしまう。
それを見て夫は自分の選んだ物が私も幸せにすると思うだろう。
確かに幸せではあるけれど、私自身はそれだけでは満たされない。
これからますます、私を満たす物からは遠ざかり、夫の笑顔が増えるだろう。
それは幸せだけれど、幸せではない。
夫の見つけた幸せの中で幸せ捜しをするしかないのかな…。
あっ!お金がかからない事に幸せを見出だせばいいのか。例えば、味噌を豆から作るとか、ハーブを育てるとか。
可愛いと思う物を手作りするのもいいかもしれない。市民口座に参加するのも良いな。
面倒くさがりでお金で何でも解決しようとしてきたのがそもそも問題だったのかもしれません。
幸せは探せばどこにだってある。
私は思い込みが激しいのが短所だけれど、その分、発想を真逆に変えても平気な適応性があるから、きっと大丈夫だ。
もっと大きなくくりで好きだと感じる物を見てみよう。
私の周りには気持ちに寄り添ってくれない人がいて、私は常に気持ちを切り替えてその人たちに寄り添っているよ。と教えて貰ってこの事に気づく事ができました。
人は変えられない。きっと、夫も友人も人の気持ちに寄り添うのが苦手なのだ。
私の方が得意なら私が一緒に楽しくいられる方法を探せばいい。
それに、私はミーハーだから、雑誌の情報を信じて、何でもパーフェクトにこなす女性がカッコイイと思っているし、綺麗で質の良い物に囲まれていないとカッコ悪いと思っているのだと思う。
逆に専業主婦こそ幸せ!と世の中が言い出したら、私は今の生活に不満を感じなくなる気がする。私は基本的に自分の頭で心で考えていないのだと思います。
東京に住んでいて、雑誌で紹介されたキラキラした物が近くに沢山あるのに、全く都心へでかけないのが答だと思う。
現に、お小遣いがあっても、私はそういった物にお金を使いません。全て生活費で買おうとしています。本当に欲しいならお小遣いも投資するはずです。
私は友人への贈り物。本。美容関係以外にお金を使いません。本当に欲しい物はこれなのだと思います。
夫を選んだのは私自身です。今はどうして一緒にいるのかよく分からなくなっているけれど、私の本能が怒りに任せて離れてはダメだと言っているのは分かります。
それが気のせいだったらいつだって離れたらいい。世間に踊らされた価値観で離婚なんてそれだけは絶対に後悔する。
これから、時間だけはたっぷりある事ですし、本当に自分が心地よいと思う物を探したいと思います!