ゆるゆるな毎日♪

日々あったことを綴ります。

届いた。

心配していた祖父へのお供え。

無事に届いたと母から連絡がありました。

法要も滞りなく無事に終わったとのこと。

天気が良くて良かったね!とラインすると、祖父の法要は必ず晴れるから本当に助かると返信が。

そうなのです。

祖父は晴れ男。

お葬式の最中は雨だったけれど、外に出てお見送りの時にはすっかり晴れていたり、お墓参りの前にスーパーに寄ってお花を買おうと立ち寄る時には雨だったけれど、出た頃には晴れていたり。

兎に角、お墓に行く日は必ず晴れる。

祖父とお出かけする事はそんなになかったけれど、用事について行く日に傘を差していた記憶がない。

祖父は絵を書くのが趣味で、ポスタカラーを文房具屋さんに買いに行くのによく付いていった。

何か欲しい物はあるか?と聞いてくれて、可愛い消しゴムやノート、鉛筆のキャップなどを買って貰っていた気がする。

祖父は本当に優しい人で無口だった。

私達孫の間では人気のおじいちゃん。

喋らないけれどよく遊んでくれた。

私と女の子のいとこの為にリカちゃんの髪を結ぶ為のゴムを大量にポッケに常に入れていたし、弟と男の子のいとこの為に工作用のセロハンテープを大量に持っていた。

竹とんぼの作り方を教えてくれたり、大嫌いな虫が出たら、素手でバチンと退治してくれた。 悪い事をしたら連帯責任で皆並ばされて怒られる。

でも、普段が優しいから全然怖くなくて皆クスクス笑っているの。

母の記憶では鉱山で働いた帰りにお酒を飲んで、泥酔。雪に埋もれているのを叔父が掘りに行く。なんて事が多々あったらしい。(岐阜に住んでいた)孫ができて素行が良くなったそう。笑

熱い粉茶が大好きで、醤油に七味をかけた物を何にでも付けて食べていた。タバコも大好きで黄色のパッケージのエコーがお気に入りだった。

夕食には必ずウィスキーの水割り。

そのお陰で見事に喉頭がんを患い、亡くなったのもそれが原因。

私のおじいちゃんはそんな人でした。

祖父の事で一番記憶に残っているのは、歳の離れた末のイトコを育てたのは祖父では?と思うぐらいべったりだったこと。

イトコは私達は大きくなっているので、祖父を独り占めできて幸せそうだった。

祖父がいなかったら彼はどうなっていたのかな。

と思う。

私と弟は母が仕事で多忙でイトコの家は両親が育児にあまり関心がない感じで、祖父母の愛を中心に私達は大きくなったと言っても過言ではない。

祖母は食事と躾担当。祖父は甘やかし担当。

よくできた連携だったと思う。

皆、祖父の事を思い浮かべると優しい思い出しか出て来ないと思う。

祖父は本当に凄いなぁ。

私は祖父に似ずに雨女で絵もセンスがない。

受け継いだのは大きな目。ぐらい。

祖父は端正な顔立ちだったけれどかなり小柄でした。戦争も背丈のお陰で一線から外れたみたい。

あれで高身長ならかなりモテただろうな。

似ている平均身長まで伸びた弟はかなりモテていたから。

祖父を私のおじいちゃんにしてくれて神様本当に有難う。

生まれ変わりがあるのなら、また祖父と孫として出会いたいです。