先程のブログの事から派生して、どうやって今の私ができたのかを考えてみました。
医学的な事は分からないので、全て想像です。
自他ともに認める、辛くなるぐらいに考えすぎな私が出来上ったのは、きっと幼い頃からの習慣なのだと思います。
考えていると安心する。と思っているのだと思います。たぶん、自分を守る為にしているのです。
私は幼い頃の自分をぼーっとした何も考えない子だと思っていたのですが、それは間違いで、好奇心が旺盛過ぎて他の事で不安な気持ちが紛れていただけだと気が付きました。
思い返せば大人が大好きな子供でした。
守って欲しかったのでしょうね。
私は倫理感は割としっかりしている方だと思います。母曰く、3歳までに人として必要な事を叩きこんだそうです。記憶にないので何をされたかは分かりませんが、破天荒な弟も知らない人を意図的に傷つける事は絶対にしませんし、親切ではあるので、それは成功したのではないかと思われます。
ただ、それ以降、母に叱られた記憶がないのです。機嫌が悪い事はあるのですが、○○したらダメ。と言われた記憶がないのです。先ずは失敗して、自分で対応。その後、どうしても解決できない所で母が登場するのです。
その結果、常にトラブルが起きた時に大事にしない為の方法を模索しているのではないかと思いました。トラブルはそそっかしいので防げない事は自覚しているようです…。
自分で対処するのは大人なった今なら当たり前ですが、幼少期の頃の誰かに甘えて助けて貰える安心感が足りなくて、その頃の不安な気持ちを長らく引きずっているのではないかと思いました。
祖父母がずっと家にいましたし、鍵っ子ではありませんでした。困った時には助けれくれましたし、助けを求めた記憶もあります。
私は十分に愛されて育った子なのですが、たぶん、祖父母では安心感を満たせなかったのだと思います。
それは、祖父母の愛情ではダメという意味ではなく、私の祖父母の対応の仕方ではそういう安心感を育てる事ができなかったのだという意味でです。
祖父母共に歳の離れた兄弟を持つ末っ子同士で、誰かに愛されるのが当たり前のポジションだったので、それも頷けます。愛する方法に疎いのでしょうね。母が祖母はとても心配症で、その不安を他人に何とかさせる人だったと旅行の時に言っていました。祖父は優しいけれど、聞く専門の人。解決策をアドバイスするタイプではありませんでした。
その二人の子供はアルコール依存症とワーカーホリック。その孫の私がこんな感じでも不思議ではないな。と妙に納得しました。
皆が精一杯にしてくれた結果なのだから、どうしようもないなと。
一人の安定した人間を育てるって本当に大変な事ですね。私が子供を持たない事はもしかしたら、もう幼い頃から決まっていたような気すらしてきました。本能にすら打ち勝つ考え過ぎ。笑
40年近くやってきた考えすぎと上手く共存するにはどうすればいいのか。
幼い頃のように、好奇心を持てるようになれば良いのかしら??10代〜結婚までは恋愛で頭がいっぱい。30代は夫とのバトル。笑。強く現状に悩みだしたのは、生活が安定してある意味幸せだからなのかもしれません。
確かに、心を躍らせるのが下手になりました。
何か、夢中になれる物を見つけなくては。
他にも何ができるか探ってみよう。
この本から何か良いヒントが貰えるような気がしています。