『汚れつちまつた悲しみに…。』中原中也さん 角川文庫。
幼い頃のある一瞬の時期、私は詩を読むのが好きでした。
母や祖父が本を買ってくれる時には暫く絵本ではなく詩集をねだったのを覚えています。
保育園に通っていた頃。
『海辺に開いた穴1つ覗いてみたら蟹がいた。お腹に開いた穴1つ覗いてみたらうんこさん』これを読んでは弟と笑い転げていました(笑)
(本当はもっと長いのですが、今はこのフレーズしか記憶にありません。題名も分かりません。帰省した時に探してみたいと思います♪)
次にはまったのは、小学生の頃。
『一年一組先生あのね』
子供たちがあったことや思ったことを自由に綴った作品でそれがとても面白かったのを覚えています。
『谷川俊太郎さんの朝のリレー』
カムチャッカの少年がきりんの夢を見る時、メキシコの少女は朝もやの中でバスを待っている…。有名な詩ですよね。
硬筆か何かの教科書に偶然載っていたこの詩を見た時に鳥肌が立つぐらいの衝撃を感じたのを今でも覚えています。
完全に一目惚れでした。
それから、、、空くことうん十年(笑)
昨年読んだ『江國香織さん すみれの花の砂糖漬け』以来の詩集になります。
今まではこの作品を特に意識した事がありませんでした。それが最近、誰かにイライラしたりする事が増え、昔の嫌な記憶(自分が犯した失敗)について考える様になり、『汚れつちまつた悲しみに…。』という言葉が急に胸につき刺さる様になりました。
題名は知っていても読んだ事がなかったので、読んでみる事にしました。
一体、この何とも言えない気持ちを詩の天才はどう表現するのか、心の持っていき所を知りたかったのです。
結局のところ、最後のフレーズの『汚れつちまつた悲しみに なすところもなく日はくれる…。』これに尽きるのだと思います。
起きたことは戻せない。これ以上もう汚れてしまわないように、汚れてしまったことを悔やみながら人は生きていくものなのかもしれません。
久しぶりに詩を読んでみてとても面白いと思いました。自分の心情を全て文としてさらけだしているのに、それでも彼の本当に言いたかったことが分からず、自分なりに受けとるしかないのですから。
そして、『絵のない絵本』を読んだ時にも思いましたが、私は文を好きなように映像化するのが好きな様です。(それと同じくらいにどういう気持ちで何を伝えたいかを探る事も、この感情はこういう風にも表現できるのか!と知ることも楽しい)
この本には沢山の詩が集録されているのですが、その中でもやはり一番好きなのは『汚れつちまつた悲しみに…。』でした。
他にも生きるのカテゴリーの中の『逝く夏の歌』『生い立ちの歌』『一つのメルヘン』『月夜の浜辺』『夏と悲運』恋のカテゴリーの『盲目の秋』『無題』『湖上』が、悲しみのカテゴリーでは『冷たい夜』『酒場にて』が、お気に入りです。
私は自分の気持ちや見たものや起こったことをきちんと形にできる人を尊敬しています。正に中原中也さんという人は文としてそれをできる人なのだと思いました。
(流石、現代に名を残すだけあります)
彼は結核からくる脳炎で30才という余りにも若い年齢でこの世を去ったそうです。
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%8E%9F%E4%B8%AD%E4%B9%9F
彼の目にその後に続く筈だった未来がどう映たのかを知る事ができないのが本当に残念でなりません。
自由奔放でも、家族を大事にした彼の人柄に好感を持ったので、詩人としてだけではなく、中原中也さんが長生き出来なかったことについても残念に思います。
人生は不平等で限りある物なのだから、(大事にしていた息子さんや弟さんも短命でした。)与えられている間は懸命に生きたいと思いました。